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訃報に涙…

恩師がご逝去された。それも一番私が信頼し、尊敬申し上げてきた先生。享年83歳。

小1のときの、たった一年間担任で、翌年には転任されてしまったけれど、なぜか社会人になってからも、海老名のお宅に遊びに行かせてもらったり、それまでは全く、興味関心のなかったボランティア活動だとか、広告代理店から現在の地域福祉職にシフトするきっかけとなる、社会福祉士の受験を促してくださったのも、この先生。私にとっての障害福祉のエキスパート中のエキスパート。私の中の恩師中の恩師。父のような存在でした。

私がマンションを買ったときは、腰を悪くされていたにもかかわらず、教え子の家庭訪問は大歓迎だといって、無理をして遊びに来てくださって、糖尿病だというのに(これは、あとで知ったことでしたが)私がつくった手料理を残さず食べてもくださいました(いろんな意味で命懸けでしたね、きっと)

先生が愛媛大学ご出身で愛媛県人だったことから、なぜかずっと四国が大好きで、社会人になってからも、かつての車好きな同僚たちと、何度かフェリーに車を積んで四国中を回ったりもしました。そんなときも、常に私の心の片隅には、この恩師への畏敬のおもいをいだきながら四国を旅しておりました。

校長職を蹴って、かつての養護学級の現役教師として、障害のあるこどもたちと本気で向き合われた先生。肢体不自由なこどもの、おトイレ介助など、自分の介護力に責任がもてなくなったから、と早期リタイヤをきめられことも、リタイヤ後に、静かに語ってくださいました。

私の障害福祉への関心はこのころから少しずつ先生の背中から語られ、知り得たことが大きい。

奇しくも、私が現在の地域福祉職にかかわり、はじめて、地域の発達障害児の放課後支援を地域ボランティアのみなさんと立ち上げげたときに、一度は担当地域から反対され、へこんだときにも、助言ご協力くださった。

さらには、このときの担当地区の自立支援協議会メンバーかつ、私の職場のすぐお向かいにあるフリースクールの学園長(もと、横浜市立学校長職歴任)は、この私の恩師の後輩にあたられる先生だったご縁で、当時の担当地区の校長会にも直接掛け合ってくださり、新米の私に多大な力添えをいただけたのも、この恩師つながりゆえの、縁に導かれていたことも今思い出して、感謝にたえません

つい数年前には、恩師のご子息のいらっしゃる栃木のご自宅近くの施有料老人ホームに入所され、海老名のお宅は引き払われ、その後も何度か栃木のホームまで訪問させていただき、そんな折りに先生の自費出版の自伝書を、すでにアラフォーだった私に『絵美ちゃんへ』などと、ちゃん付けで、筆がきで名を宛てて拝受したことも記憶に新しい。(私をちゃん付けで呼んでくださる方はもはや、数えるほどですし)

しかし、今年の年賀状には、恩師の字ではなく「本人の体調により、年賀状は今回をもって失礼します」といったご子息からのものだったので、少しばかり時の流れを感じながら今日まで過ごしてきました。

そして訃報のはがきを今日帰宅して、手にしたとたん、涙がとまらなくなって、ランニングにでかけようとした足に力が入りませんでした。すでにランウェアに着替えていたのに、汗ではなくって涙がとまらなくって、走りに出掛けることを止めました。

さらには、恩師が永眠された翌日、かつてから病弱でいらした奥様が後を追うように永眠されたことを葉書の内容から知りました。本当に最後までなかむつまじいご夫妻でした。

今度こまったときは誰に相談したらよいんだろう…。また泣けてきた。

いかん いかん。自己中になってるゾ、弱いね自分

Y先生、どうぞ安らかに。

これまでに、いただいた先生の教えを噛み締めながら「先生だったらどうおっしゃるだろうか」との、想いを馳せながら、これからはできるだけ、自分で考え・判断しながら道を開拓してまいります【合掌】