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隣の芝生は青くない。お隣さんも実は結構大変。

「羨ましい」と思うものは自分で勝手にキラキラフィルターをかけて見ている所があって、大体が「隣の芝生は青い」と同じ様なものだ。

「幸せそう」に見えるものは、幸せな瞬間を切り取ったほんの一部であって、生活の全てが毎日毎日キラキラしているわけもなく、蓋を開ければ皆がどこかで大変な思いをしていたりストレス抱えたり我慢して生きている。

「羨ましい」と思う人物の人生と丸ごと交換して生きてみたら、きっと今まで良く見えていた表面的な一面よりずっと大変な現実があることに気がつくだろう。

自分は不幸、どうしてこんな目にと思っているにも関わらず、そんな自分を羨ましがってる人が居る可能性もあるというヘンテコな現象も起こる。

人の幸せな状況というのは、大変な現実の生活やストレスの中で頑張って得た一瞬のものかも知れないし、羨ましがっても仕方のないものだ。

人間が「幸せ」な気持ちを永遠に維持するのは、お釈迦様でも難しかったのだから、人が幸せそうにしているのを見たときは、日常の大変な生活の中で今、きっと貴重な幸せな気持ちの時間を得られているんだろうと共感すれば、「羨ましい」という気持ちも薄らぐ。

完全な相手視点に立って考えてみることが大事なのかも知れない。

全ての時間が永遠に「幸せ」な人など居ないし、永遠に「幸せ」ならそれは平坦になり幸せではなく「普通」になり、自分を不幸と錯覚し不満が出て来る生き物なのだと思う。

辛いことが日常にあるからこそ、それを乗り越えた時やふとした小さなことに気がついた時に、人は「幸せ」と思える様になる。

比べるのは他人ではなく、過去の大変だった自分と比べて今はどうかと考えたら、きっと成長していることに気がつくし、人を羨ましがることもなく、心も楽になる。